ピンクとグレー

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シゲの策略にはまってしまった。本編、あとがき、インタビューと全て読み終わってからまず頭に浮かんだ言葉だった。後半はページをめくる手が止まらなかった。 


裏表紙に書いてある内容紹介によると、この小説は「青春小説」に分類されるらしい。正直、わたしはあまり得意分野ではない。普段は『十角館の殺人』(綾辻行人)や『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介)、『花の鎖』(湊かなえ)などの「ミステリー」に分類されるものを好む傾向があるので、シゲが書いた本でなければ、残念ながら読む機会はなかったかもしれない。


目次も本を読む際の大きな楽しみの一つである。第一章、第二章・・・と書かれているものもシンプルでいいが、章ごとにタイトルがつけられているとそこから物語を推測することもできるため、二度楽しめるのだ。品定めをするように表紙をめくるとシゲの写真と紹介文。本当に作家さんなのだなあと思うと心がくすぐったくなる。さらにページをめくると目次が現れた。バラバラの時系列とその下にはドリンクの名前。おもしろそうじゃんと素直に思った。バラバラの時系列で書かれているものや、視点がコロコロと変わっていく小説はわたしの得意分野だ。読み進めるにつれて真実に近づいていくスピード感がやみつきになる。『ピンクとグレー』も、それに近いものを感じた。

 

まだ読んでいない方もいると思うので内容は書かないが、わたしはもう一度この小説を読むことに決めている。わたしの中で拾いきれていない伏線を回収するためだ。つまらない小説だったら、二回も読むなんてことはしない。それほどわたしの中にマッチする部分があった。

 

 

しかしなにも状況は変わらない。僕から彼に連絡する事はきっともう二度とない。たった一夜の出来事でも、もうすでにその前から僕と彼とは重なっていなかった。まるで時が経つとともに反り合う文庫本の表紙と裏表紙のように。


中盤にでてくる文章を引用させてもらったのは、2人の関係を「文庫本」とあらわしたこの表現が気に入ったからだ。幼いころから親しかった友人であったにもかかわらず、時間と共に疎遠になっていしまった2人の関係を反り合う文庫本と表現している。初めに言っておくが、ここからは私の勝手な解釈である。大学時代までぴったりとくっついていたが疎遠になってしまった2人は、高校の同窓会で数年ぶりに再会することになる。長い間反り合ってきた表紙と裏表紙は、180度回って再び出会ったのだ。しかし、表紙と裏表紙が出会ったのは一瞬の出来事であった。文庫本は限界まで反り続けていった。そして、ついに限界に達してしまった文庫本は、反ることをやめて一冊の本としてのあるまじき姿に戻った。シゲがどのような意図で「文庫本」という言葉を選んだのかは分からないが、これだけ想像力を掻き立てるような表現に出会えたのは久しぶりであった。

 

 

巻末のインタビューで、シゲは「後半、一気に、というのが狙いでしたね。」と話している。悔しいけれど、私はまんまとシゲの策略にはまってしまった。あのときの行動はそうだったのか!と真実を知れば知るほど白木蓮吾の人生にハマっていってしまう。それはまさに河田大貴と同じである。それまで白黒で描かれていた2人の人生に、ラストは色鮮やかで目がくらむような色彩が広がる。その感覚をぜひ多くの人に味わってほしい。

 

 

3年前、「映像化されて誰かがやってくれたら楽しいだろうなと思いますね。」と話していたシゲのその夢、叶ったよ。